アスリートのパフォーマンス向上に繋がる食事時間制限(TRE)と睡眠:指導者が知るべき体内時計への影響と栄養戦略
はじめに
アスリートにとって、パフォーマンスの最大化にはトレーニング、リカバリー、そして適切な栄養が不可欠です。近年、これらの要素と密接に関わる体内時計(概日リズム)の重要性が改めて認識されており、特に食事のタイミングが体内時計、ひいては睡眠の質に大きな影響を与えることが科学的に示されています。その中でも、「食事時間制限(Time-Restricted Eating, TRE)」と呼ばれる特定の時間枠内に全ての食事を終える食行動パターンが、アスリートの間でも注目を集めています。
アスリート指導者の皆様におかれましても、選手の睡眠の質やパフォーマンスに関する課題に対し、栄養面からのアプローチを検討される機会が増えていることと存じます。本記事では、食事時間制限(TRE)がアスリートの体内時計や睡眠にどのように影響するのか、パフォーマンスへの潜在的な効果とリスク、そして指導者が選手への栄養指導にTREを取り入れる際に知っておくべき科学的根拠と具体的な戦略について解説いたします。
食事時間制限(TRE)とは
食事時間制限(TRE)は、1日のうち決まった比較的短い時間枠(例:8〜12時間)の中に全てのエネルギーを含む飲食物の摂取を終え、残りの時間を断食状態とする食行動パターンの一つです。このアプローチは、単なる摂取カロリーの制限ではなく、食事を摂取する「時間」そのものを制限する点に特徴があります。一般的な効果として、体重管理、インスリン感受性の改善、代謝機能の調整などが報告されており、健康増進の観点から注目されています。
アスリートにおいては、エネルギーバランスやトレーニング量との兼ね合いから、厳格なカロリー制限を伴う断食(例:隔日断食や週2日の断食)は推奨されない場合が多いですが、比較的摂食時間枠の長いTRE(例:10〜12時間)は、適切な栄養管理下であれば導入の可能性が検討されています。
TREがアスリートの体内時計に与える影響
私たちの体には、約24時間周期で生理的な活動を調整する体内時計(概日リズム)が存在します。この体内時計は、脳の視交叉上核にある「主時計」と、肝臓、筋肉、消化管などの各臓器にある「末梢時計」によって制御されています。
光刺激は主時計に強い影響を与えますが、食事のタイミングは特に末梢時計に大きな影響を与えることが明らかになっています。食事を摂取する時間帯が不規則であったり、夜遅くに食事を摂ったりすることは、末梢時計のリズムを乱し、結果として全身の体内時計の同期を妨げる可能性があります。
TREを規則的に行うことは、食事の摂取時間を一定に保つことで、末梢時計を特定の時間帯に同調させる効果が期待できます。これにより、全身の体内時計がより適切に同期し、睡眠・覚醒リズム、ホルモン分泌、消化吸収、体温調節といった様々な生理機能が最適なタイミングで実行されるよう促されると考えられています。特に、夕食を早めの時間に終えるTREは、夜間の消化器系の活動を抑え、休息モードへの移行をスムーズにする可能性があり、睡眠の質に良い影響を与えることが示唆されています。
TREがアスリートの睡眠に与える影響
体内時計の適切な調整は、睡眠の質に直接的に影響します。TREによる体内時計の同期促進は、以下のような形でアスリートの睡眠に良い影響をもたらす可能性があります。
- 睡眠・覚醒リズムの安定化: 食事の時間を規則的にすることで、睡眠と覚醒のリズムが安定しやすくなります。これにより、入眠時間のばらつきが減少し、規則的な睡眠習慣の形成に貢献する可能性があります。
- 夜間の生理機能の最適化: 夕食を早めに終えることで、就寝時には消化活動が落ち着いている状態になりやすくなります。これにより、消化不良による胃腸の不快感が軽減され、入眠が妨げられるリスクを減らすことが考えられます。また、血糖値の安定にも繋がり、夜間の覚醒を防ぐ助けになる可能性があります。
- 体内時計関連ホルモンへの影響: TREがメラトニンなどの睡眠に関わるホルモンの分泌パターンに良い影響を与える可能性も示唆されていますが、アスリートを対象とした研究はまだ限られています。
ただし、TREの導入方法によっては睡眠に悪影響を与える可能性もあります。例えば、極端に短い摂食時間枠を設定したり、摂食時間枠内の栄養摂取量が不足したりすると、就寝前に強い空腹感を感じて入眠が妨げられたり、夜中にエネルギー不足で覚醒したりするリスクが考えられます。また、トレーニングのタイミングによっては、リカバリーに必要な栄養素の摂取が適切なタイミングで行えず、疲労回復の遅延が睡眠の質に影響する可能性もあります。
アスリート指導者が選手へTREを導入・指導する際のポイント
アスリートへのTREの導入は、パフォーマンスへの影響を慎重に考慮し、個別のアスリートの状態に合わせた丁寧な指導が不可欠です。
- 目的の明確化と個別性の重視: なぜTREを導入するのか(例:体内時計の調整、特定の時間の空腹を避けたい、ライフスタイルのリズム化など)を選手と共有し、目的を明確にします。そして、選手の競技特性、トレーニングスケジュール(早朝練習、夜間練習の有無など)、現在の食習慣、睡眠の質、既往歴、消化器系の状態などを詳細に把握し、個別のアプローチを検討します。一般的なTREの効果だけでなく、アスリートに特有のメリット・デメリットを十分に説明します。
- 無理のない摂食時間枠の設定: いきなり短い摂食時間枠を設定するのではなく、まずは1日の食事開始から終了までの時間を12時間以内にする、といった緩やかな制限から試みることを推奨します。選手の反応を見ながら、必要であれば徐々に摂食時間枠を短くすることも検討できますが、極端な制限は避けるべきです。アスリートの場合、10〜12時間の摂食時間枠が現実的かつ、体内時計への良い影響と必要な栄養摂取の両立を図りやすい一つの目安となり得ます。
- 摂食時間枠内の栄養戦略: 限られた時間内に必要なエネルギー量、主要栄養素(炭水化物、タンパク質、脂質)、ビタミン、ミネラルをしっかりと摂取できるように、食事内容を計画的に指導します。特に、トレーニング前後のエネルギー補給や、筋肉のリカバリーに必要なタンパク質の摂取タイミングは重要です。
- 炭水化物: トレーニングのエネルギー源として重要です。摂食時間枠内で、トレーニング前後のタイミングを考慮して摂取します。特に長時間・高強度のトレーニングを行うアスリートでは、エネルギー不足のリスクを避けるため、摂食時間枠内の十分な量と質が確保されているか注意が必要です。
- タンパク質: 筋肉の修復・合成に不可欠です。摂食時間枠内で、特にトレーニング後や就寝前に摂取することで、リカバリーと睡眠の質向上に貢献する可能性があります。
- 脂質: エネルギー源やホルモン合成に関わります。良質な脂質(オメガ3脂肪酸など)を適切に摂取します。
- ビタミン・ミネラル: 睡眠に関わる栄養素(マグネシウム、亜鉛、ビタミンD、ビタミンB群など)が不足しないよう、多様な食品から摂取できるような食事内容を指導します。
- 就寝前の対応: 夕食を早めに終えるTREの場合、就寝近くに空腹感を感じる選手もいます。強い空腹感が睡眠を妨げる場合は、摂食時間枠を調整するか、就寝時間の2〜3時間前に消化の良い軽食(例:ヨーグルト、少量のおにぎり、プロテイン飲料など)を摂ることを検討します。ただし、これは摂食時間枠のルールからは外れる可能性があるため、TREの目的と選手の睡眠の質を天秤にかけて判断が必要です。また、夜遅い時間の多量の食事は避けるべきである点は、TRE導入の有無にかかわらず重要です。
- モニタリングとフィードバック: TRE導入後は、選手の体調(疲労感、胃腸の調子)、トレーニング中のパフォーマンス、体重や体組成の変化、そして睡眠の質(入眠時間、中途覚醒の有無、睡眠時間、起床時の気分など)を詳細にモニタリングします。可能であれば、睡眠日誌や栄養記録(食事内容、摂取時間)を活用し、選手からのフィードバックを丁寧に聞き取ります。問題が見られる場合は、摂食時間枠や食事内容を速やかに調整します。
- 脱水に注意: 摂食時間枠外はエネルギーを含む飲食物は控えますが、水分補給は重要です。トレーニング中はもちろん、摂食時間枠外でも水分(水、お茶などエネルギーを含まないもの)を適切に摂取するよう指導します。
- トレーニング時期や遠征への配慮: 試合期や高強度トレーニング期など、エネルギー需要が高い時期やリカバリーが特に重要な時期にTREを導入する際は、エネルギー不足やリカバリーの遅延リスクを十分に考慮する必要があります。遠征や時差がある場合は、体内時計のリズムが変化するため、TREの適用はより慎重に行うか、一時的に中断することも検討が必要です。
具体的な指導事例(架空)
選手: 水泳選手B、17歳、女子、毎日早朝練習(5時〜7時)、午後練習(16時〜18時半)。以前から入眠に時間がかかることがあり、練習後の疲労感も強い。
課題: 早朝練習のため就寝時間が早く(21時頃)、夕食を19時頃に終えるため、摂食時間枠が短い傾向にある。また、練習後のリカバリー栄養の摂取が不十分な可能性がある。入眠困難と疲労感は睡眠の質の低下に関連している可能性が高い。
TRE導入と栄養戦略の検討:
- 目的: 体内時計の安定化による睡眠の質の向上、練習後のリカバリー促進。
- 摂食時間枠: まずは12時間の摂食時間枠(例:7時〜19時)を設定することを提案。
- 栄養戦略:
- 早朝練習前: 練習開始1〜2時間前に、消化の良い炭水化物(バナナ、ゼリー飲料など)と少量のタンパク質を摂取できるような軽食(例:おにぎり少量とプロテイン飲料少量)を摂食時間枠開始の7時に間に合うように指導(早朝練習が5時開始のため、これは摂食時間枠外になる可能性があるが、練習前のエネルギー補給は体内時計への影響よりも重要。摂食時間枠の柔軟な適用または7時以前の軽食はエネルギーを含まないものに限定するなど、目的と両立できる方法を検討)。この選手の場合は、早朝練習後のリカバリーに重点を置くため、練習前の食事は必須ではないと判断し、水分補給のみとする、という選択肢も考えられる。
- 早朝練習後(7時以降): 速やかに炭水化物とタンパク質を組み合わせた朝食を十分に摂る。これが摂食時間枠のスタート地点となる。
- 午後練習前: 練習開始2〜3時間前に、午後のトレーニングに必要なエネルギー源(炭水化物主体)を摂取する。
- 午後練習後(摂食時間枠内:〜19時): 練習終了後30分〜1時間以内を目安に、筋肉の修復・合成を促すタンパク質と、エネルギーを補充するための炭水化物を十分に含む夕食を摂る。就寝時間から離れているため、消化器系への負担も軽減される。
- 就寝前: もし19時の夕食後から就寝までの間に空腹感が強く、睡眠を妨げる場合は、19時までに消化の良い少量の間食(例:ホットミルク、ヨーグルト)を摂ることを検討。摂食時間枠を19時半や20時まで延長することも柔軟に検討。
- モニタリング: 睡眠日誌(起床・就寝時間、中途覚醒、睡眠の質)、食事記録(食事内容、摂取時間)、練習日誌(疲労感、パフォーマンス)を毎日記録してもらい、週に一度コーチと栄養担当者(または栄養知識のあるコーチ自身)で振り返り、必要に応じて調整を行います。
科学的根拠と今後の展望
アスリートにおけるTREに関する科学的研究はまだ発展途上にあります。体重管理や代謝マーカーに関する肯定的な報告がある一方、アスリートのパフォーマンス(特に高強度運動や持久力)への影響、筋肉量や骨密度への長期的な影響については、さらなる研究が必要です。睡眠や体内時計への影響についても、一般成人や臨床研究からの外挿が中心であり、アスリート特有の状況(高負荷トレーニング、頻繁な移動など)を考慮した検証が待たれます。
現時点では、TREはアスリートにとって万能の戦略ではなく、特定の目的(体内時計の調整や規則正しい食習慣の確立など)を持つ選手に対して、専門家の指導のもと、慎重に導入・管理されるべきアプローチであると考えられます。
まとめ
アスリートの睡眠の質を高める上で、体内時計の適切な調整は重要な要素です。食事時間制限(TRE)は、食事のタイミングを制限することで体内時計、特に末梢時計を整える効果が期待できる食行動パターンであり、結果として睡眠の安定化に貢献する可能性があります。
しかし、アスリートへのTRE導入は、必要なエネルギーや栄養素の摂取を確保し、パフォーマンスに悪影響を与えないよう、細心の注意が必要です。アスリート指導者の皆様におかれましては、TREの基本的なメカニズムと体内時計・睡眠への影響を理解しつつ、選手の個別の状況、トレーニングスケジュール、目的を十分に考慮した上で、無理のない範囲での導入を検討し、摂食時間枠内の質の高い栄養戦略と継続的なモニタリングを組み合わせた指導を行うことが求められます。
TREがアスリートの睡眠とパフォーマンスに与える影響については、今後も研究の進展が期待されます。最新の科学的知見にアンテナを張りながら、選手の健康とパフォーマンス向上に繋がる最適な栄養戦略を探求していくことが重要です。